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2006年11月28日

知覧特攻平和会館に行ってきました

皆さん、「知覧特攻平和会館」ご存知ですか?

この特攻平和会館は大東亜戦争末期(戦後は太平洋戦争ともいう)、
沖縄決戦において、「特攻」という人類史上類のない作戦で、爆弾搭載の
飛行機もろとも肉弾となり、一機一艦の突撃を敢行した多くの特攻隊員の
遺品や関係資料を展示しているところです。

場所は鹿児島県川辺郡知覧町というところにあります。

ジュエルミキは、社員旅行で3年前、スタッフ全員を連れて行きました。

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「今、私達が平和であること」

に、改めて見つめなおし、やりたい仕事、やりたい事が自由に出来ることの
有難さに気づくためでした。

先日、鹿児島に行く機会がありましたので、ちょっと足を伸ばして3年ぶりに
私だけ行ってきました。

改めて、たくさんの崇高な犠牲があって今の私達が生かされていることに
気づきました。
そして、20歳にも満たない若者の志高き手紙や思想に触れ、それらを
静かに回顧しながら自己の志を見つめ直しました。

最後には、ただ単に、純粋に、「二度と戦争が起こらないように」と
願うばかりでした。

是非一度訪れてみてください。
涙が止まりません。


知覧特攻基地

 知覧特攻隊とは・・

 知覧においては、昭和16年、大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所が開校され、少年飛行兵・学徒出陣の特別操縦見習士官らが操縦訓練を重ねていた。しかし、戦況が緊迫し、昭和20年本土最南端の特攻基地となった。戦局は衰退の一途をたどり、この敗勢を一挙に挽回する手段として、必死必中の体当たり攻撃が敢行されたのである。知覧飛行場は南北2000メートルくらいの滑走路で障害物や小山も少なく離着陸の行いやすい飛行場であった。沖縄戦では、この知覧基地を主軸に万世、都城基地などから出撃し、1035人の隊員が戦死した。最期の日、彼らは「さようなら」と飛行機の翼を上下斜めに降りながら、地上の人々に別れを告げて開聞岳上空に消えていったという。


 知覧・特攻の歴史
 知覧では、昭和14年頃から陸軍飛行場としての調査がはじめられ、昭和16年12月24日に大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所として正式に開校された。翌年の1月30日、第10期陸軍少年飛行兵78名が操縦教育を受けるため、知覧に到着し、その時からこの飛行場は3年にわたり、特攻基地としてその役割を果たすことになる。沖縄戦の特攻攻撃では、知覧基地を主軸に万世、都城基地や第8飛行士団は台湾各基地から義烈空挺隊(*)は健軍基地(熊本)から出撃した。知覧町では、世界の恒久平和を祈念するため、昭和30年9月28日に“特攻平和観音堂”を建立し、昭和49年には特攻銅像“とこしえに”を建立、昭和61年には、「とこしえに母と共に安らかに」の願いを込めて、母の像が建立された。昭和60年度から2ヵ年計画で知覧特攻平和会館が建設された。
(*)空挺隊(空挺作戦)
特別に編成、訓練された部隊が、航空部隊と協力して相当の重装備を携行し、長距離を迅速に移動し、適地にパラシュート降下あるいは強行着陸して、目標地域内の要点を確保する。この目標は、通常敵の側背に選定されるので、敵に与える脅威は大きい。


<知覧特攻平和会館>
 この平和会館には、特攻隊員の遺品や記録などの関係資料が展示してある。昭和50年に公園休憩所を利用して遺品館を開設したが、全国各地から訪れる人々が増え、多くの反響が寄せられたため、昭和60年度から2ヵ年計画で知覧町が建設したものである。陸軍に関係するものばかりでなく、別館展示室として、海軍の零戦が展示してあったり、震洋についての展示などもしてあり、特攻に関する資料館としてとても充実している。その他、別館には特攻隊以外の戦隊や、関係の人たちの遺影や遺品も展示してある。

 
[陸軍4式戦闘機“疾風(はやて)”]
 宮崎県都城東・西基地を中心に出撃した特攻機であり、知覧基地からは4機出撃し2機が未帰還である。

[陸軍3式戦闘機“飛燕(ひえん)”]
 3式戦闘機は、日本陸軍の名機とうたわれた。全長8.94メートル、最大時速約590q、20.0ミリ機関砲2門、12.7ミリ機関銃2挺を装備した、当時日本唯一の液冷式の新鋭機だった。知覧基地からは昭和20年5月11日に49機が飛び立っている。

[零式戦闘機(旧海軍)]
 昭和20年5月甑島の手打港の沖約500メートル、水深約35メートルのところに沈んでいたものを知覧町が昭和55年6月に引き揚げた。旧海軍の52丙型で大戦末期の改良型。

 この他、“若き特攻隊員たちの英霊コーナー”として、1035柱の隊員の写真が出撃した月日の順に掲示されていた。また、特攻隊員たちが家族・知人にのこした遺書・手紙・辞世・絶筆等が展示してある。“残された者からのコーナー”には鳥浜とめさんらの証言を映像で見ることができる。戦史資料室には、陸軍・海軍の軍服などが展示してある。
<知覧特攻平和会館発行小冊子から引用>


知覧特攻平和会館について

 この特攻平和会館は大東亜戦争末期(戦後は太平洋戦争ともいう)、沖縄決戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆弾搭載の飛行機もろとも肉弾となり、一機一艦の突撃を敢行した多くの特攻隊員の遺品や関係資料を展示しています。

 私たちは、特攻隊員たちの崇高な犠牲によって生かされ国は繁栄の道を進み、今日の平和日本があることに感謝し、特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら、再び日本に特攻隊をつくってはならないという情念で、貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と、関係者の方々のご尽力によって展示しています。

 特攻隊員たちが帰らざる征途に臨んで念じたことは、再びこの国に平和と繁栄が甦ることであったろうと思います。この地が特攻隊の出撃基地であったことにかんがみ、雄々しく大空に散華された隊員の慰霊に努め、当時の真の姿、遺品、記録を後世に残し、恒久の平和を祈念することが基地住民の責務であろうと信じ、ここに平和会館を建立した次第であります。

<知覧町ホームページより>


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